元治元年(1864)12月中旬
 
大庭伝七宛書簡



大庭伝七は奇兵隊のパトロンでもあった白石正一郎の末の弟。この書状は、元治元年12月15日の、いわゆる「功山寺決起」直前に認められた晋作の遺書である。彼はこの後、俗論党に牛耳られた政府を倒すため、伊藤俊輔ら80名を率いて決起する。時代は彼に味方していたようで、晋作たちは俗論党政府を倒して再び政権を奪取する。

高杉晋作は武士であることに誇りを持っていた。彼は奇兵隊を作って民衆の力を利用したが、民衆の地位を武士と同じ所にまで引き上げることなど夢にも思っていない。そのことを「高杉晋作の限界」だという人もいるが、私はそうは思わない。「限界」という評価は現在の価値基準に基づいたものであり、「今」の物差しで「過去」を計ってあれこれ言うのはいかがなものかと思う。

それにしても、他人が大切にしているものを勝手に持ち去ったりと、結構、勝手な男ではある。ま、これも、晋作らしさと言ったところか…。


其後打絶御無沙汰仕候段奉恐入候、弟事も未得死処赤面之至に御座候、御承知之通 御両殿様御身上へも迫り候次第、臣子は死も余有る時節に御座候

その後、長々とご無沙汰致しまして、恐縮しております。私も、いまだ、自らの死に場所を得ることができず、誠にお恥ずかしい限りです。ご承知のとおり、両殿様(藩主父子)の御身に迫っている危難を思いますと、このような状況を招いた我々臣下一同、死をもってしても、余りある状況でございます。

先日長府出張之時も一言も御相談不申上儀、深思慮有之候事に御座候間、不悪御含置可被下様奉頼候、弟事も毛利氏恩古之士、今日に至り士民同様の心底は寸分無之候間、其段兼て御存之儀と奉心知候、

先日、長府に出張した折に、一言も御相談申上げなかったことにつきましては、心に深く思うことがあったからなのです。ですから、何卒、悪くお思いになりませんよう、お頼み申し上げます。
私も毛利家恩古の家臣ですから、今日に至り、士民(武士と民衆)と同様の心底はこれっぽっちもございません。このことは、兼ねてからご存知のことと思います。


偸生家之讒言にて府公にも弟等之事色々と被思召候由残念至極に御座候、乍爾人生之事蓋棺定、今日以言語弁解仕候も愚なる事に御座候なり、洞春公御正統之府公之事故、たとひ追討被仰付候とも露程も御恨は不申上候、成事ならば弟等心事生前之中、府公へ明白相成かしと所祈に御座候、夫故追々嘆願書も差出し候覚悟に御座候間、

讒言(ざんげん)により、長府公(長府藩主・毛利元周)も、私たちのことを、色々と悪く思し召されていることが、残念でなりません。さりながら、人生の事は棺(ひつぎ)のふたを覆った時に、はじめて定まるものだと申します。ですから今の段階で、あれこれと弁解申上げるのも愚かなことでございましょう。洞春公(毛利元就)の血を引く正統な府公でございますから、たとえ、私を追討せよと仰せられたとしても、露ほどもお恨み申し上げたりはいたしません。とは言え、できることなら、私の思いを、私が生きているうちに、府公にご理解頂きたいと祈るところでございます。ですから、おいおい嘆願書を差し出すつもりでいます。


野々村諸君へも不悪被仰入候様奉頼候、我等府城を離れ候も必竟府公を深く奉思候て之事に御座候処、裏腹に相成讒言を請候段千万遺憾之至に御座候、兎手も死後ならては不明白と落着仕候心事御推察所願いに御座候、

野々村君たちのことも、悪く仰せになりませんよう、お願い申上げます。私たちが長府城下を離れておりましたのは、長府公のことを深く思ってのことです。それなのに、この思いとは裏腹に、讒言を受けるにことにつきましては、甚だ遺憾に思っております。死んだ後でなくては、到底明白にはなるまいと、覚悟を決めた今の心境を、是非ともご推察頂きたく願い申し上げます。

弟、若し馬関にて死する事を得候は、招魂場
御祭り被下様奉願候、先は為右頓首

私がもしも馬関で死んだなら、招魂場へお祭り頂けますよう、お願い申上げます。

弟も私情なき者には無之候得共、国家大難胸中如火、小事を忘候間態と御推察奉頼候、筑前以来御世話に相成、且帰関之後寄宿をも願い、知己と相誓候て一言も不申上出関仕候も無情之様には御座候得共、是亦有情之極と相考候、

私だって個人的な情愛を持たぬ人間ではございませんが、国家の大難が胸中を火のように焦がしているために、ついつい小事を忘れていたものとご推察頂けますようお願い申上げます。筑前以来お世話になり、また馬関へ帰って後も寄宿を願い、心を許しあった朋友であると誓っておきながら、一言も申し上げず馬関を出ることは、無情のようではございますが、これもまた有情の極みだと私は考えております。

御家内様にも理非知らぬ者と御譏も可有之候得共、其辺御弁解奉頼候、猶亦筑前にて野々村より金五両拝借仕候処、未得帰候間其段も宜敷御致声奉願候、御珍蔵之小屏山陽書は陣中之一楽と盗去候間、左様御承知可被下候、

ご家族も、道理を知らぬ者と、私のことを悪くおっしゃっることと思いますが、私に代わってご弁解頂けますようお願い申上げます。また、筑前で、野々村から5両を拝借しておりますが、まだ返却できないでおりますので、その件につきましてもよろしくお伝え下さい。なお、御珍蔵なさっていた小屏、頼山陽の書は、陣中の楽しみとすべく、勝手に持ち去りましたので、そのようにご承知頂けますようお願い申上げます。

前文申上候通赤間関之鬼と相成、討死致之落着に御座候間、別書之通碑を御建被下様、乍御面倒奉頼上候、井上小輔、三好大夫へも弟心事御通し被下様奉願候、白石翁にも御無沙汰仕候間、宜敷御致声奉頼候、弟事は死ても乍恐天満宮の如く相成、赤間関之鎮守と相成候志に御座候、入江角次郎も御地へ参居候由、此段御通達奉頼候、

前文でも申し上げましたように、赤間関の鬼となり、討ち死に致しますので、別書の通り、墓碑を建てて頂けますよう、ご面倒ではございますが、お願い申上げます。井上小輔、三好大夫へも私の気持ちをお伝え頂ければと思います。白石翁(白石正一郎)にも御無沙汰しておりますが、よろしくお伝え頂けますようお願い申上げます。私は死んでも、恐れながら天満宮のようになり、赤間関の鎮守となる志でございます。入江角次郎も御地へいらっしゃるとこのとですので、このことをお伝え頂けますようお願い申上げます。

死後に墓前にて芸妓御集、三弦なと御鳴し、御祭被下候様奉頼候、別紙、詩作御覧奉頼候、拝白 
伝七様 梅之助


私の死後は墓前に芸妓を集め、三味線などを鳴らして、お祭り下さい。また、別紙、詩作を御覧頂けますようお願い申し上げます。


故奇兵隊開闢総督高杉晋作、則
 西海一狂生東生墓
遊撃将軍谷梅之助也

毛利家恩古臣高杉某嫡子也
 月 日
売国囚君無不至 捨生取義是斯辰
天祥高節成功略 欲学二人作一人

国を売り君をとらえ、いたらざるなし
生を捨てて義を取るは、これこのとき
天祥(天が下すめでたいしるし)高節(高い節操)成功の略
二人を学びて一人を作らんと欲す


老兄は口にては不申候得共、御誠心之御方と奉存候故、此様なる事を申上候、御他言は御無用に奉存候、若し老兄御幽囚にも相成候はゝ入江角次郎へ此段被仰付候様奉願候、死為忠義鬼、愉快々々 伝七様 梅之助

申し上げたことはございませんが、私は、あなたが誠の心をお持ちの方だと知っております。だからこそ、このようなことを申し上げるのです。御他言は無用に願います。もし、あなたが幽囚の身になるようなことがあれば、入江角次郎に、このことを伝えて下さい。死して忠義の鬼となる。愉快、愉快。 伝七様 梅之助

墓前にて芸妓を御集被下様、其外奉祈上候、又□□死之内は之書状を他人へ御示し被成候時は知己と不思也、筑前にて之酔倒憶起し候也 大庭伝七様 拝呈 谷梅之助

墓前にて芸妓をお集め頂くこと、その他の件につきましても、お願い申上げます。また(□□不明)の内は、この書状を他人へ見せた場合、もはや、あなたのことを知己と思うことはできません。以上は、筑前で酔いつぶれ、ふと思い起こして認めたものです。 大庭伝七様へ 谷梅之助